昭和45年12月07日 朝の御理解
御理解 第78節
「神の機感にかのうた氏子が少ない。身代と人間と達者とがそろうて三代続いたら 柄人筋となって、これが神の機感にかのうたのじゃ。神の機感にかなわぬと、身代もあり力もあるが、まめにない。まめで賢うても身代をみたすことがあり、また大切な者が死んで、身代を残して子孫をきらしてしまう。神のおかげを知らぬから、互い違いになってくる。信心して神の大恩を知れば、無事達者で子孫も続き身代もでき、一年まさり代まさりのおかげを受けることができるぞ。」
神のおかげを知らぬから、互い違いになってくる。ここからが私共が頂かなければならないところだと思うですね。神のおかげを知らぬから、互い違いになってくる。信心して神の大恩を知れば、無事達者で子孫も続き、身代も出来、一年勝り代勝りのおかげを受ける事が出来るぞ。そういうおかげを受けるという事が、神様のお喜びであり、言わば、神様のご満足なのであります。神様に満足して頂けるようなおかげを頂かにゃならん。神様が満足して下さるようなおかげとは、大変なおかげだと思うですね。
今朝、私、御神前で頂いた事が、昨年の夏でしたか、菊栄会の方達を中心に、豊美の道具を買いに行ったですね。そしてその時、私共、豊美のお別れ旅行といった様な意味で、私共親子三人と、それから菊栄会の方達が、十人でしたでしょうか、みんな一緒について来て下さって、京都まで参りましたですね。言わば、大変な大名旅行でしたが、大変お繰り合わせの中におかげを頂いて参りました。
その時に、岡山に一泊致しました。その時にあれは何とかと言う割烹旅館でしたが、もう岡山一番の割烹旅館、天皇陛下がお泊りになったという様な立派な旅館なんですね。それは本当、見事な旅館でしたが、翌日朝食を致します時には、下の食堂の大きなホールで頂いてくれという事でしたから、そこへみんな行きました。そうですね、やっぱり何百人が一緒に食べられる様なテーブルが、ずうっと広いホールでした。
ところがさぁ食事に下りましたらね、私共が一組と、向うの方に、ちょっと、四、五人の家族連れじゃろうといった様なのが、食事をしておるだけでした。あれだけ立派な部屋が沢山あり、あれだけ立派なお店であり、従業員も沢山居るのですけれども、ははぁ、昨夜は、あんまり泊りが無かったなと思ったんです。その大ホールでですね、お食事をさせて頂いておるところを、頂いたんです。
それが丁度私まあ合楽の皆さんが、大変いろいろとおかげを頂いて、先日は岡山の芸備教会と言えば大変有名な教会です。佐藤宿老の教会ですね。教祖様のご直信である。しかも大変お道に功労があって、そのご長女が三代金光様の奥様にという家柄の教会です。そちらの教会の役員総代をなさっておられる方が、あちらで織物工場をなさっておられる。そこの社長という方のご先祖、先々代になられるでしょうか。
曾孫にあたられると言うのですから、その佐藤宿老を、一番初めに金光様の御信心に導いたという、芸備教会の歴史に残っておる、その方の末孫に当られる方です。佐藤宿老をお導きをした。しかもそれが信心がね、今日迄続いておるというところが、素晴らしいですね。佐藤宿老をお導きになった。その方の末孫にあたる方が、現在の何々工場の社長さんをしておられる。重役さん達は全部お道のご信者さんだそうです。
そこの会社の総務のご用を頂いておられる方が、芸備教会の教会長先生の紹介状を持って、ここに参られた。本当にやはりお徳というものは有り難いものだと思いますね。年々代々、そういう風に、大きな繁盛の、いわば、今日の御理解で言うと、家繁盛、子孫繁盛、子孫も付き、身代も出来、一年まさり代まさりのおかげを受けておられる訳であります。珍しいですね、そういうケースは、本当に。
曾爺さんの信心が、今日までその様に続いて、そして繁盛しておる。そちらから紹介状を持って見えられました。その方に対して私は晩、ゆっくりとお会いさせて頂いたんですけれども。その工場の女工さんがあちらでなかなか集まらん。そこで九州あたりから人を雇いたいという様な願いのもとにみえられた訳です。そん時にね、九州でほんならどこの教会と、どこの教会にお出でられたかと言うと、久原の教会と合楽教会を指名して、指定してですね、その紹介状を書いておられるということです。
だから、合楽教会ち言や、やっぱ、九州じゃ合楽教会、まぁ御比礼が輝いておるという意味合いで、皆さんの、そういう風な見方をして頂いておる事であるのですから、有難い事だなというて、ちょうど、(開き)の親先生が見えておった時に、まぁ二人で話したことです。たくさんな教会が九州にも有ります中に、勿論、皆さんもご承知の様に、久原教会は、ああいう大きな教会ですね。
御比礼を頂いておる教会。と、合楽教会に行けと言うて、先生が、その、佐藤和雄という先生で、教会長先生が、ねんごろな紹介状を書いて、ここにみえられました。と言うようにですね、脇から見て、私は、そんなおかげを頂いとるとは、九州で何番ちいうごたる風な教会とも思いもしませんし、まあだ限りがなく、おかげ受けていかなならんと思うとりますから、けれども、おかげを受けておる事は事実ですから、その事をね、私はお礼を申うさせて頂きよったんです。
そしたら今言う岡山で私共が泊った、その割烹旅館の朝の食事の時の大ホールを頂いて、私共と只二組の何百人という人が、一緒に御飯が頂けるという様な場を持ちながら、十人か十五人の人がお食事をしておるという様な程度の、その場面を頂いてからですね。はぁ神様が、まあだまあだ、沢山のおかげを下さろうとしておるという事ですよ、合楽の場合は。私どん五人か十人かでまあこの程度の事でですね。
はぁ本当に有難い、それはやっぱり、今の教会で朝の御祈念に、これだけ沢山の人達が、しかもね、五時の御祈念の時には、この様にしてから集まってしもうておられるという程しの教会は、やっぱ、ざらにない事はないでしょう。だからそういう意味あいでは、大変おかげを受けておる。けれどもそれに腰かけておるといった様な事では、勿論いけないし、又、私もそれで良いとは、一つも思いません。
けれどもこの様なおかげを受けておるという事をね、お礼を申させて頂いておりましたら、丁度、その百人も二百人も入られる様な大ホールの食堂でです、お客さんな十人か二十人しかあっとらんという様な様子のところを頂かせて貰うて、はぁ神様はこの食堂にいっぱいの人が、ままになるおかげをですね、下さろうとする事の為に、わざわざこの様な準備もしてあるのだという事を、私は今日気付かせて頂いた。
それはどういうことで、その様な事になってくるのであろう。いわゆる互い違いです。神様は、まぁだ沢山の難儀な氏子が取り次ぎ助けられる事を願うておられるのである。その場は、与えてあるのに、まだ合楽では、言うなら、百人なら百人の者が入られるお広前を持ちながら、十人なら十人の者しか入っとらんという様な訳なんです。してみると、これは神様に満足して頂く様なおかげを頂くという事。
いわゆる、つういっぱいのおかげを頂くという事。それにはもっともっと私共が、神のおかげを知らなければならないなと言うことを感じます。
なる程、おかげを頂いて、あれもおかげ、これもおかげと思うておりますけれどもです。まあだまあだ、おかげをおかげと分っていないところの部分と言うか、分野がまだ広いという事。たいてい、おかげは分っておるようである、たいてい、おかげを頂いたと言うておるけれども。昨日は、ちょうど、お昼があっておりましたら、野口つぁん達が親子で、小倉の富永さんと二人、お礼に出てみえられました。一日の月次祭と、十三日の十三日会の日にだけ、大体、お参りがあり、特別な用がない限り、参拝が出来ない富永さんが参って見えて、今日は、折入ってのお願いがあって参りましたと、こう言う。
話を聞かせて頂いたら、このごろから、幹三郎の事で、大変お世話になった医大の、広土という教授の先生と、主治医の清先生、それから、平野という助教授の先生、この三人の先生方が手術に立ち合われて、用を頂いて下さった方らしいですね。それがもう、そこにも本当に、大変おかげを頂いておったという事ですけれども、今度、九大の方へ変られて、助教授の先生が、今度、教授になられる事になると言う。ところがあの、白い巨塔ですかね、あの映画でありました様に、お医者さんの世界位ですね、派閥を喧しく言う所はないそうです。
もうそれは、ひどいものらしいですね。どんなに実力のある先生があっても、一番上の派が変る。そういう意味で、富永先生なんかは、小倉の記念病院に行きなさったんですもんね、前は。そんなことで、今度、幹三郎の事をお世話になった、その先生が九大の方に行かれ、その後に平野という助教授の先生、この助教授の先生が、一番初めに富永さんが、手術が終って教授室に行かれて、丁度、そこを出られるのと、こちらが<行かれるのが一緒になって、もうニコニコとして、富永さん、ご心配はいりません、こうこうでしたと言うて下さった方らしいのですよね。
その先生が、大変、実力者だそうですけれども、それを助教授を教授にされるされないで、いろいろ揉めて、だからどうぞ、その先生の事について、おかげを頂きます様にと。それから、主治医の清先生と、今度は、富永先生が幹三郎の事で、十二月の、今月の二十日に、二人の先生で幹三郎の事の、学会での発表があるそうです。その事も又、御神意に背かないように、それだけ特別お願いをしておかねばならんという様な事で参ってみえられました。
それでね、私はそん時思うたんですけれども、その三人の先生方が、神様とか、おかげとかは分りなさらんけれども、その御用に携わって下さったんだから、これはこの先生方にもご褒美が出るなと、私は思いました。この願いは成就すると思います。それがね、話を、これは、あんまり公表してはならないことなんですからね。そのね、詳しく、その事を聞かして頂きながらです、こういうところに、こういう神様の働きがあっただろうかと思うて、私は、昨日、びっくりしました。
いわゆる、私共が言うておるおかげというのはですね、本当に氷山の一角ですよ。私はそのお話を聞きながら、本当に、野口つぁんと二人で、驚いた事でございますけれども、神様の働きちゃ、そういうところに迄、行き渡っておられたのかと思う位でした。しかも、幹三郎が、もう来週は退院。だからですね、あれが暇が要るとです、それとは全然反対の人の先生に、幹三郎を渡さなんごとなるそうですたい。言うならば、その、しのぎを削っておられる先生に、自分の大事な患者を渡さなんごとなる。それが、大変、先生方としてはご心配じゃったらしいですね。
ところが、丁度、そういう事を前に、退院のおかげも頂けれるという事になり、ですから、今度、歯の方は、小倉の方に富永先生の知った大変有名な先生がおられるから、あちらの方へ、まぁ何日かでしょうから、連れて行って治療をするという風に言うておられますが、もう神様のね、お引きまわしというものの、その根の深さ広さに、只、驚いてしまうです。今度の、そういう、お医者さんからの、本当、そこんとこを話すならもう、びっくりするごたる事が、ずうと根をはっておる訳です。そういうところに、そういう働きがあったのかと。口にこそ言いなさらんけれども、この神様のお働きには、恐れ入ってしもうておられるというのが、この二人の教授の先生方の気持らしいですね。
二人じゃない、三人ですね、主治医の先生とも。だから、それを発表される為には、又、大変なお勉強が今あってるそうです。ですから、私共が、大抵、どの位お礼を言いよってもお礼を言いよっても、お礼が足りないち言うことです。四神様が仰っておられます様にね。五、おかげを頂いたと思う時にはね、言うならば、その五倍位の思いでお礼をせろと仰った。五五、二十五倍。十、おかげ頂いたと思う時には、五十のおかげを頂いた、それでもまだ足らんと言う。
はぁもうおかげを頂いて、ちょいと親先生はオーバーだと言う人が有りますよね。例えば、私、今度の幹三郎の、あの病気でもです、本当に、その朝迄は、例えばもう間違いなしに肉腫であったと。昨日、私は、その事を、又改めて聞かせて頂きました、内幕話を。だから、今度、どうでも十三日会に、その事を皆さんに聞いて頂くと、富永さんが言うておられますがね。
もう、そるきん、私が、例えば、一夜のうちにあの病状は変ったんだと言うとですね、それは初めから、そげなんじゃったろうという人も有るけれども、私がこの位言うて、おかげの実感を盛り上げようとしても、まあだまあだ、実を言うたら足らんとですよ。神様の働きというのは。ですから、いくらお礼を申し上げよっても、お礼を申し上げよっても足らん。いわゆる、おかげをおかげと感じ取りきらん、神のおかげを知らぬから、互い違いになる。まあだ私が、大概いい加減に、それこそ十のおかげは五十位言いよるごたる気持でおっても、まあだまあだ足らんのだ。神様が働いておって下さる、そのおかげというのは。そのおかげをです、私共は分らせて頂く様になるから、互い違いにならんで済むおかげが頂かれる。
私共は、ここでは、とりわけ素晴らしいタイミングの中にと言うような事を申しますが、まあだまあだ、今、私が、今朝から頂きます様にです、実際は。その岡山で、私共が泊まったその旅館での食堂で、百人も二百人も入られる様なホールに、たった、十人か二十人の者しか入っとらんという様な位のおかげしか受けていないという事。まあだ、現在の合楽の十倍の人が集まっても、まあだ、それで、おかげを受けたという事じゃないと言うこと。いや、神様が満足して下さる程しのおかげではないという事。私は今日、神様が満足して下さる様なおかげ、だからまあだ言わば互い違いになってると言うこと。
毎日、例えばここに、現在、三百四五十人のお届けがあります。それが例えば五倍になれば、やっぱり千四五百人は、毎日お参りがあってもいい訳なんです。神様は、そういうおかげを下さる様に、言わば、設備なら設備をして下さってあると言うこと。けれども、こちらがまあだ、おかげをおかげと感じきっとらんところにです、そのおかげが頂けてないと言うことなんです。だから私共は、もっともっと、神のおかげを知らなければならないと言うことです。
丁度、その富永さん達がみえた時に、お参りしておられた方が、秋永先生が初めてお導きしてみえた方がございました。その奥さんをお導きして見えて、二三回、奥さんは参って見えた。それで、ご主人も一緒に、昨日はお参りになたわけです。秋永先生と三人で参って見えた。そのお話をしておるところへ、富永さんが見えたんですけれども、その方は、佐賀に善隣会というのがありましたね。善隣会で、いわば、信心の稽古をしておられる方なんです。その方が言われるのにですね。とに角、人間は、心の持ち方一つだと、自分の心一つで、おかげになるという事を言うておる。そうどころじゃないと、私が申しました。ところがです、ここではね、右と思えばおかげになる、左と思えばおかげになると思うても、なかなか心の方が言うことを聞かんところにです、心の使い方の稽古をしなければならんのですよと言うて、お話した事でした。
そこ迄は分っとるとじゃん、誰でも。人間な、幸不幸と言うのは、心の持ち方いっちょですよと。そこ迄は誰でも分ってる。おかげは和賀心なのだ。そこ迄は、金光様のご信心する者は、誰でも分ってる。人間は心の持ち方一つで、幸不幸が定まるのだと。ところが、その心一つが、自分の自由に使う事が出来ないじゃないか。だから金光様のご信心とは、その自分の一つの心をです、自由自在におかげの頂けれる方の心。いわゆる有難いとか勿体ないとかという心に使うていく稽古をすることなんだ。
私の心の中に、例えば、幹三郎が、もう百のものなら九十九は駄目だと言うような事を聞いた時でも、私の心は、平生だった。平生どころかね。その一つが、これからの私の信心だと、私は実際に思うたですから。そういう心の使い方が奇蹟を呼ぶ。例えば、奇蹟じやないですね、昨日の御理解頂きますと。そういうおかげになっていくのです。当然の事として、それがおかげになっていくのです。だから、そん時にそういう心を使えりゃ、おかげになる事は分っとるけれども、使えんのでしょうが。不安である、焦燥である、体が震い出そうごとある。これじゃ、おかげにならんです。心一つが自分で思うようにならん。何故か。神のおかげを知らんからなんです。
幹三郎の事でも、その前後、又は、その周辺、周囲の事に起きてくる一分一厘の間違いない働きの中にあるから、私は確信してる。自分のその周囲の、一分一厘の間違いのない働き、いわゆる神のそういう御守護と言うか、そういう生き生きした働きの中にあるという神のおかげを知っっておるから、私の心の中に平生心が生まれ、いや平生心だけではない、生き生きとした有難い心が生まれた訳なんです。神のおかげを知っとるからでしょうが、だからおかげで、その事に於ては互い違いにならなかった訳なんです。今日は特に、神のおかげを知らぬから、互い違いになってくる。ですから、私共は、いよいよね、その神のおかげを、いよいよ、おかげとして分らせてもらう。
そこで、私は思うですね。私共は、それこそ、凡夫の事で相分りませず。神様は広大なおかげ下さろうとしているけれども、言わば、こちらに受けものがない、力がない。そこで、いよいよ力を受けさせて頂く事の為に、信心修行させてもらわなきゃならん。これはもう二十年も前、椛目時代に、御祈念中に神様から頂いたのが、大きな畳一枚位あるごと、大きなまな板の上に、大きな鯉がある。神様が、鯉を私に下さるとゆうから、私がそれを一生懸命押えようとするけれども、鯉の方が力が強うしてね、押えきらんでおるところを頂いた。鯉と言や徳とおっしゃる、こういう神様が、徳を下さろうとしておるけれども、さあこちらに力が無ければ、それを頂く事は出来んのだという事でしたから、力を頂く事に一生懸命になった。
だからね、信心させて頂く者は、そこにおかげが、こういう風に見えておるのですから、このおかげをおかげたらしめる為に、それを頂けれる為に、自分のね、人間心とか、そげな事は使わずに、その頂けれる力を頂く。例えて一番、手っとり早い話で、分かりやすく言うなら、今の上野さんです、北野の。それは誰が考えたって、おかげと思わなければおられない程しのところで、お土地を頂く時もそうでしたが、買う時も。あそこに家を建てる時も、又、それを選定させて貰う大工を選ぶ時も、本当に神様のおかげと言わにゃおられない様なおかげの中に、今日迄おかげ頂いてきた。
ところが、ある事で、ピタッと、そこにある行き詰まりが出来とる。神様が、これだけのおかげを下さろうとしておるのですから、ここに自分達が力不足を本当に感じてですたい。それはもうご主人の敏雄さんが、そりゃ頭かかえて、毎日、晩は眠られんぐらいに心配しとる。だから、はぁここは力不足と思うて、その力を頂く事の為に精進すりゃ、心配もなぁにも要らんとです。ここ迄下さっておるのですから、神様が。後、何分になって、あと僅かになって、どうなるじゃろうかといったような問題に直面してる。
もうそれこそ、わけのない事ですけれども、神様が、さぁ力を受けてくれよ、力を受けてくれよと言うておられる事が分らんでおる。だから、そんなら力を受ける為には、どういう信心させて頂いたら良いかという事になる訳でしょうが。その力を受けて、おかげを受けて、初めて神のおかげという事が分るのです。例えば、家が八分通りは、なる程、神様のおかげじゃったばってん、後の二分のところでは、自分が、そうにゃ、晩でん眠らんごとして心配したけん、おかげ頂いたという事になってごらんなさい。おかげ頂いても、全部で十のおかげを十のおかげとして思われないでしょうが。
一から十までが、神様のおかげと分る時にです、その次のおかげが、互い違いにならん様なおかげになってくるのですよ。おかげをおかげと知らにゃ。そん為にはです、おかげをおかげと知るために力を受けなければならん。だから、段々、信心させて頂きよりますと、そこ迄は分っておる、心一つという事は分っとるけれども。そんなら、心の自由自在の使い方、と言うことの稽古には、疎かにしておって、いざん時に、役に立たんという事になる。そこでです。今も申します様に、私共が、おかげと思うておる、そのおかげが、まあ十、おかげと思うておるなら、これは五十位のおかげの表現です。決して針小棒大じゃないです。
十しか、おかげ頂いておらんように思うておっても、、実際は五十のおかげを頂いておる様な気持でです。お礼の精進ですね、今月の焦点。今年のおかげは百と思うたら、五百頂いた位なつもりで、一つ、お礼の為の精進をなさらにゃいけません。そこには、もう五百のおかげが待っております。神のおかげを知らぬから、互い違いになる。だから、神のおかげを本当に、私共が知らして頂くと言う、信心の一つの神経とでも申しましょうかね、小さい。こまかいところに神経を使うてみて、じっとその事を見ておるとです、そのおかげの根の広い事、深い事に驚いてしまう程し。
けれどもそれは、私共の信心で、キャッチするおかげの事ですから、まあだまあだ、深いに違いはない。そこで、そんなら五十頂いておるというものは、そんなら、二百も三百も頂いた様にお礼を申し上げる。そのお礼の為の精進がなされる。そこにはです、三つのおかげを五つにと、お礼を言や。次には五つのおかげと、五つのおかげを十のおかげと思や、次には十のおかげと。十のおかげと思うのをです、五十も頂いとると思や、次には五十のおかげが受けられると教えておられますから。
分らんけれども、私共はそういう生き方をもってでもです、おかげの世界というものを広げていかなければいけんじゃないかと、こう思う。私共も、大抵、おかげおかげを言いよるようだけれども、今朝、私が、お知らせを頂いた、百人も二百人も入られる様な大ホールを頂きながら、十人か二十人しか入っていない程度のおかげしか頂いていないという事。これでは神様が嘆きなさる、神様に満足して頂ける様なおかげを目指してね、お互い信心させて頂く時にです。私共がおかげをおかげと分らせてもろうて、そのおかげの事に対するところの、お礼の精進が、いよいよなされるところから、そのおかげの世界を、いよいよ自分で分らせて頂く事が出来るという風に思うです。
どうぞ。